ナベシステム

 渡辺 賢一

ヒストリー

いよいよ第三の人生が始まりました。2022年をもちまして、約40年間に渡り営業してまいりました渡辺ダンス教室を閉じました。
第一の人生がサラリーマンのかたわらアマチュア競技選手としてダンスに没頭していた時期をとしますと、 第二の人生は20年間のサラリーマンを辞めからプロに転向、渡辺ダンス教室を開設したあたりからと思います。
プロ競技選手としては40歳半ばまで競技会に出場していたような気がします。 新潟県ボールルームダンス連盟では、35年もの長い間、定年を迎えるまで理事を、また審査員として在籍しました。 在籍中は、情報管理・広報部部長として今のナベシステムの元となるアクセスの構築へと繋がりました。 ほどしてJBDF関東甲信越ブロックが発足、ますますアクセスによるシステム開発が加速したのです。
新潟県ボールルームダンス連盟の定年の翌年2021年、胃がんステージ2の宣告を受け入院手術となりました。 そして渡辺ダンス教室の閉鎖、新潟県・東部日本・JBDF本部への退会となりました。
私からダンスを引いたらおかげさまでパソコンが残りました。今しばらくナベシステムとしてシステム開発に頑張ろうと思います。 今後ともよろしくお願い申し上げます。

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エピソード

ウインドウズ95

Long Long Ago 時代はさかのぼり今から約25年前、1997年ウインドウズ95から98に変わろうとする頃。 何も知らずにまずパソコンを買ったのです。息子曰く、タッチパネルなど有ろうはずもないのに、私は「ウインドウズ」 「ん、窓」「いや、画面」「枠」…と。ひたすら画面を触っていたらしいのです。

アクセスとの出会い

当時のノートパソコンは、Cドライブ2GB メモリ500MB と今とでは比べ物にならないほど貧弱で動きもとてもとろいものでした。 OSがあの話題となったウインドウズ98に変わり、オフィスも最上位版のプロフェッショナルを導入しました。 アクセスとの付き合いはその頃からとなります。

挫折とシャッター事件

とにかくパソコンで採点管理をやりたいと欲望が芽生え、無謀ではありましたが知識のないまま無理やり初めての 「採点管理システム」をそれなりに完成させました。 ところが残念ながらぺーぺーの私は、わずか半年で東部の採点管理 に変えられてしまい、ここには書けないシャッター事件が勃発します。 しかし天は人を見捨てませんでした。関東甲信越ブロックが発足したのです。私も仲間に加えていただき、 以前にも増して熱の入ったシステム開発が再開したのです。

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新潟県中越地震

新潟県中越地震が発生した年の秋のこと。山梨県大会に審査で出かけるのに余儀なく長時間の電車移動となりました。 なんということでしょう、甲府駅に着く頃にはあるシステムが完成していたのです。そうです、頭の中でパソコンをしたのです。 キーボードもなければ紙に書いたりもありません。考えも取り消しも何もかもが瞬時で自由。 姿勢も景色もどうでもいい状態です。こんなことができるなんて、私にとってとても大きな自信となりました。

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人とコンピューター

コンピューターは嘘をつけない

赤ん坊は生まれてくるときに産声を上げます。それは赤ん坊が自らできることが泣くことしかできないからです。 泣けないのは命に係わるもっと深刻な状況なのです。大人になると風邪をひいたり体調を崩すと熱を出してつらくなります。 そして「今日は休もうかな?」または「熱があるからお休みしなさい」と言われ、「どうしようかな?」となります。
さて、両者を比較すると赤ん坊は本能であって噓泣きしているとは考えられません。一方、大人はどうでしょうか、 休む休まないは自分の判断になります。判断基準は体温・つらさの度合だったりまたは無理を押し通して休まないこともあるでしょう。 ずる休みは嘘をついているといっていいと思います。幼少期の頃、「ヤダ」という否定する言葉を発して自己主張した瞬間から嘘をつける始まり と私は考えます。

プログラミングは多数用意された「関数」「演算子」「計算式」などを文章を書くように組み合わせていきます。 これをコーディングといいます。
前述の赤ん坊が「泣く」と「泣かない」。泣いたときは正常、そうでないときは要観察などとコーディングできます。 大人の場合ですと「休む」と「休まない」。「休む」に至るまでが体温、つらさの度合だったりと条件を加える必要があります。 「ずる休み」を定義しようとすると微妙になります。言い換えれば「嘘」か「そうでないか」の境目も微妙ということになります。 これら判断は人がすることであって、コンピューターが嘘をつけることにはならないのです。
医学的知識や根拠もなく勝手に例えましたことをお許しください。